もしもう1度やりなおすなら~大学編③~

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 体調を崩して四大学対抗で結果は出ませんでしたが、5月にある関東インカレ4×100mRのメンバーに選ばれました。あくまで補欠という立ち位置で、怪我などのアクシデントがない限り、本番走ることはないだろうと思っていました。ただ、驚いたことに、関東インカレ・日本インカレのメンバーは、出場しない応援の部員からメッセージや似顔絵が入った手書きのポスターがもらえます。さらにマッサージ係もあり、ケアなどを手伝ってくれます。ありがたいと思うと同時に、インカレ選手には、大学を代表するという強い責任があるということを知りました。

 初の関東インカレは、補欠で走ることはできませんでした。チームも予選落ち。また、この年まで日本インカレが6月に行われていましたが、こちらは標準記録を突破できず、リレー、個人種目共に出場者0でした。前年までは、高平慎二選手(北京五輪で4×100mR日本初のメダル獲得)を擁して短距離チームは大活躍していたようですが、1年でかなり厳しい状況になっていました。日本インカレは3日間ずっと応援席で応援です。100m決勝を見ながら、ハイレベルなレースに自分が走っていることをこの時点ではイメージできませんでした。

 悔しい思いで終わったインカレを通して、競技人生で初めて裏方ばかりの時間を過ごしました。中学・高校と基本的にはずっと自分が試合に出ているので、仲間の応援もあまりしていませんでした。ただ、考えてみれば当たり前ですが、自分が試合で活躍する裏では、多くの支援・サポートしてくれている人たちがいるのです。当時は愚かにも、応援したくないから、試合で絶対活躍してやるとばかり考えていました。もちろん強い勝利意欲は大切です。しかし、少しでもいいから、支援してくれる人への感謝の気持ちに気づければ良かったと今は思っています。そういう意味では、高瀬慧選手は応援してくれる人達のために走るという姿がありました。これがオリンピック選手との差だったのかもしれません。

 日本インカレは終わったものの、まだ6月です。シーズンはまだ続くので何とか立て直さなくてはなりません。今の知識があれば、冬季トレーニングもできていないため、しっかりトレーニングを積みながら、秋に自己ベストを狙う計画を立てると思います。ブランク後のトレーニングを参照。

 しかし、6月には記録会や県選手権があったため仕方がないのかもしれませんが、試合の調整のような練習をずっとしてしまいました。しっかりトレーニング・練習ができていない状態で、疲労をとるための調整練習ばかりしていたら、体力は低下していきます。その結果、県選手権は、11秒2くらいかかって予選落ち。さすがに、この状態ではまずいということに気づき、1度試合にエントリーするのをやめて、しばらく鍛錬期をつくることにしました。夏にしっかり練習を積み、目標を9月下旬の6大学対抗に定めました。遠回りしてしまいましたが、この失敗経験は指導者になってからも生かされています。でも、こういうことは誰か教えて欲しいですよね、、(続く)

 

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