自由と自己責任

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 最近の風潮に、自由や個性を生かすとったものがあると感じています。かつてのような管理型のトップダウン的な考え方からの転換期なのかもしれません。甲子園で優勝した慶應義塾高校をはじめ、高校野球の強豪校でも自由な髪型が許されるようになってきています。

 また、個々の社員に意思決定権があり、社員の意思によって目的の実現を図ることができる組織形態をとる、ティール組織という会社もあるようです。権力者が存在せず、メンバー一人ひとりが自身の役割や環境のルールを理解し、状況に応じて独自に意思決定ができる特徴があります。

 これからの時代は、自分で考えて行動する、自己決定力が求められる時代ですから、このような流れは自然なのかもしれません。学校教育においても、無意味な校則が撤廃されたり、良いことも多くあります。

 しかし、あえて今回は、自由な風潮のデメリットを考えていきます。特に、指導者は、知識をアップデートしながらも、世間の風潮に流されない信念を持たなければなりません。

 まず、自由が強調され過ぎると、他律を期待できなくなります。他律とは、ある仕事に関して、上司からの指示に従うこととあります。教育でいうと、指導者、教師からの厳しい指導と言えるでしょうか。これらは行き過ぎると、パワハラや体罰に繋がり、決して許させる行為ではありません。

 しかし、厳しさや他律を失くしすぎてしまうのも問題ではないでしょうか。最近は、指導者が厳しく指導できない時代になっています。いつ、スマホで撮影されたり、録音され、拡散させるかわからないといった背景もあるかと思います。

 すると、叱れなくなり、厳しいことを言われなくなり、自由が許されることになります。

 そして、自由には、自己責任が伴います。

 犯罪行為でもしない限りは、どれだけ、怠惰な道を進もうとしていても、何も言われない。授業中に眠っていて、学ばなくても、遊び惚けても、さぼっても、自己責任です。

 自己責任の世界では、厳しく自分を律する、自律できる人は、イキイキと力を発揮できるでしょう。しかし、どれだけの人が自律できていると言えるのか。まして、中高生などの若い世代は、まだまだ、知識や経験が不足しています。大人から見たら、失敗するだろうと予想できる行動をとっている場合も多くあるはずです。大学生が、一気飲みをして亡くなったり、危険ドラックを使用していたりと、基本的に脳が本当の意味で完成するのは、35歳くらいだと言われています。それまではとんでもない行動をとることも十分あるのです。(年を重ねてもとんでもないことをする人はいますが。)

 では、指導者やリーダーは、どのように、生徒や部員と接すればよいのでしょうか。それは、

 愛のあるおせっかい

 自己決定力を伸ばすためにも、自由を許すところは許す。失敗したら、リーダーが責任をとるくらいの気概を持つ。そして、怠惰の道にそれそうになったら、厳しく指導する。

 指導者としての信念を持つということです。

 従わない自由があるにも関わらず、人々が付いてくるようなリーダーが、これからの時代には求められています。

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