稽古という言葉についてとてもよい話を聞いたのでまとめてみます。
稽古とは、調べると、芸能・武術・技術などを習うこと。また、練習。とあります。稽古と練習はほぼ同じような意味だと思われますが、稽古の方が少し古い言葉のような印象があります。
陸上競技においては、陸上の練習とは言いますが、陸上の稽古という人はあまりいないように思います。
ただ、最近学んだことやこれまでを振り返えると、稽古と練習は分けて考える必要がある気がします。そして、両方必要な言葉だと思うようになりました。
では、稽古と練習の2つの違いについて述べていきます。
まず、練習とは、陸上競技でいうと、スターティングブロックからダッシュしたり、ハードルを跳んだり、試合の映像を見て課題を見つけて改善したり、走り方を工夫したりと多くの競技者が取り組んでいる、いわゆる練習です。最近では情報化が進み、より科学的で効率のよい練習法が編み出されてきています。言うまでもなく、質の高い練習は競技力を向上される上で必要不可欠です。
では、稽古とは何か。行っていることは練習と同じなのですが、目的が違うのです。
一言でいうと、今ここに自分をもってくる方法です。
今に集中する。といってもよいかもしれません。
競技者時代を振り返ると、今ここに自分がいない。今に集中できていない時は、中々結果が出せていないように思います。
それは、あの時の失敗が頭に浮かんだり、先にことを考え過ぎて不安になったりし、心が不安定になっている状態です。また、情報過多になり過ぎている現代では、どれが正しい情報なのか迷う。この練習をやろうと思っていたのに、youtubeでたまたま見た真新しい練習法に目を奪われたりすることもよくあります。
稽古で具体的に何をするかは、人それぞれですが、科学的とか、技術論とかはいったん置いておいて、これは繰り返しやるというものがあるとよいです。
このような考えは全くなかったのですが、自己ベストを大きく更新したきっかけとなった高校2年時の冬の朝、100mを7~10本ほど7割程度のスピードで繰り返し走っていました。今思えば、これは稽古に近いものだと考えています。技術的なものというより、心を安定させる意味合いがあったのではと分析します。残念なことにシーズンに入ると、これをすっぱりやめてしまいました。それだけが原因ではないのかもしれませんが、シーズンが進むにつれ少しづつ心身の状態が乱れていき、インターハイをあと一歩で逃すという結果となりました。
非科学的な根性練習を稽古と称して行いましょうといっているわけではありませんが、人は様々な理由で心身が不安定になります。そんな時に、今ここに自分の心を持ってくる方法を知っていることは大変意味がありように思えます。社会的な成功を収めている人が、瞑想やヨガをしたり、筋トレやジョギングを日課としているのは、不安定な自分をコントロールする手段を知っているということなのかもしれません。
コメント