中高一貫校に通っていたため、高校受験のブランク等はなく競技を高校でも続行しました。中高同じグラウンドで練習していて、中学時代から高校生の合宿などに参加したりしていたため、環境面で戸惑うことなどは全くありませんでした。また、意欲の高い先輩の影響を受け、陸上への意識もかなり向上しています。高校1、2年時、練習日誌を書いていた記憶はあるのですが、手元にありません。具体的な練習内容などはまた記憶を辿ってみようと思います。
高校1年時は、受験ブランクがないため、すぐに自己ベストを更新できました。中学時代のベスト11秒57から初戦で11秒2台まで伸びたはずです。いきなり県大会に進めたことは自信になりました。初の県大会では、ある選手の走りに衝撃を受けた記憶があります。その選手はその後日本代表でも活躍するのですが、明らかに他と違う走りをしていました。何というか進み方が異常でした。本物の天才はこういう選手をいうのだなどと100m決勝で圧勝する姿をスタンドからながめていました。(ちなみに私は準決勝敗退でした。)
1年時は次にベストを出したのは秋の県新人でした。この時初めて、ピーキング(狙った重要な試合にベストのコンディションで臨めるように、コンディションを上げていき、そのピークを合わせること)の概念に気が付きます。県新人の2週間ほど前にあった地区大会では、全く走れず、11秒6くらいかかっていました。とても体が疲れていて、足が重かった記憶があります。おそらく県大会はいけるだろうという算段から練習量を増やしたまま地区大会を迎えていました。その時はショックでしたが、疲れているならもうあまり練習しないで県大会に臨もうと切り替えました。人によっては良くない時は、もっと練習しようと考えがちですが、陸上競技では不調の原因が疲労ということはよくあります。次の試合まであまり時間がない場合は、じたばたせず休むのも手でしょう。そして休んた結果が大成功し、11秒12の自己ベストで県大会8位入賞することができました。2週間程度の期間で約0.5秒もタイムが変わる経験をして、ピーキングの大切さを学んだのでした。ちなみに徐々に練習・トレーニング負荷を減らしていくことをテーパリングといいます。また別の機会に解説しようと思います。
1年時に県大会入賞できた経験から自信を深め、来年はインターハイに出場したいと思うようになりました。ただインターハイという舞台はそう甘くないということを思い知ることになります。(続く)
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